土曜日は奈良県で
不良介護セミナー
その後、メンバーと夕食
からの~二次会へ行き
帰宅は午前様
日曜日は抜け殻でした
この話はまた書きます。
今日は、
記事を読みながら
自分と会話してみてほしい
このBlogでも以前何度か紹介しましたが
当会にはアフリカへ移住したメンバーがいます。
彼女は2023年12月5日
2人の娘を連れアフリカの
コンゴ民主共和国へ移住しました。
その理由は、
子育てを物質的に豊かな日本ではなく
精神的豊かさのあるコンゴでしたいというもの
そして彼女は現地で
病院を開業し、そこで得た利益で
難民キャンプの妊婦さんや子供達の
医療サポートを慈善事業で行いだした。
病院を開業するために
クラウドファンディングを行い
当会メンバー達の多くが応援協力。
現地での病院開業を果たし
難民キャンプ支援をあっという間に始めた。
しかし、2025年1月、
彼女が住むコンゴ民主共和国の
ゴマで内紛が勃発
武装勢力M23によって侵略・制圧され
約1週間に及ぶ激しい市街戦の末、
数千人の民間人が犠牲になり、
囚人の脱走や無数の略奪などが起こった
例外なく、彼女の病院も車も
略奪に合った
彼女と子供達は、
着の身着のまま隣国のルワンダに避難
周囲から一時避難帰国するよう説得され
今月上旬に帰国しました。
彼女は私に言った
「あれだけ応援協力してもらっておいて」
「道半ばで病院や難民キャンプ支援を断念し」
「どの面下げて帰国すればいいのかわからない」
彼女は、この出来事を
「失敗」と捉えていた。
先日、メンバー向けに
彼女の報告会on-lineサロンを開催

みなさんは、
自分がチャレンジしたことに
失敗した時、その失敗をどう捉える?
サロンに参加したメンバー達は
しきりに「失敗」の定義について
彼女に語りかけていました。
メンバー達は
「失敗は通過点でしかないと」
私も同感です。
チャレンジすることに意味があり
その結果は「成功」か「失敗」しかなく
確実な「成功」が先に見えているなら
それはチャレンジじゃない
ただ成功のために行動しただけのこと。
「失敗」とは、だたの結果でしかない。
その後、どうするかが次のチャレンジ
私にとって、
過去の失敗は
人生のテッパン笑いネタであり
過去の様々な「あの失敗」があったから
今の自分があると言えるようにするのが
生きるということで自身の成長で
人は失敗からしか
成長しないと捉えています。
もし、失敗せずに成功や
出来るようになったことがあったとしたら
その成功にどんな要素があるのかなんて
知るすべもないのが「成功」
成功の理由は、
たまたまであり
理由がないから再現性も低い
もし理由もわからないまま
再現性があったとしても
その成功方法を誰かに
教えることはできない
しかし、
「失敗」には必ず理由があり
改善する方法がもれなく付いてくる。
みなさんの過去の失敗を
思い出してもらえたらわかる。
失敗を繰り返す人は
どんな大きな結果を出しても
成功と位置付けないものです。
大きな結果は自身の成長でしかなく
更に上を目指すことしか考えない。
どこまでいっても成功とはならない
だから私は、
成功よりチャレンジすることの方が
価値があると考えます。
彼女は、多くの人に応援協力され
それで築いた病院や活動が今回の紛争で
失ったことを申し訳なく感じていたけど
応援協力した人たちは、
病院や車に支援協力したのではなく
彼女自身、自分達にできない彼女の夢に
支援協力したに過ぎない
メンバー達はサロンで
そのことを一所懸命伝えようとした。
支援協力したすべての人達は今、
経験値を増やした未来の彼女に期待してる。
なにかのチャレンジに
足踏みしてる人がいたら
失敗しながら成長するんだ! ...て
一歩、踏み出してほしい
私流に言えば、
始めてチャレンジして成功しようなんて
それは、厚かましすぎるわよ。
(笑)

