週末から非日常が続き
いろんなことがありすぎて
2日にわけて書いてみます♡
金曜からの旅の行き先は鹿児島
鹿児島は前職の取引先があったり
私の逃げ場所お宿があった場所で
昔は、よく通った場所
私が経営者を辞める決断したのも鹿児島
もう10年以上、行ってなかった。
ギリギリ親子ほど歳が離れた仲良し男子
4年前に東京から突然、郷里の鹿児島へ。
ご想像された方もいるかもですが、
給与は半分以下になります。
突然の告白に驚いたけど
彼の人生には合ってると思った。
大人になった私は、
お金に惑わされる不幸があるし
惑わされないハードルが高いことも
知っていましたから...
きっと、彼は私の心配を
知っていたのでしょうね。
今回の旅で、
4年で彼がつくった人間関係や
帰郷が幸せの選択肢だったことを
私に見せたかったのでしょうね♡
いろんな人に会わせてもらい
みんなとってもいい人でした。
類は友を呼ぶってことわざ
その通りだと思った3日間でした。
私も彼が紹介してくれる人に
彼が恥ずかしい想いをしないよう
振舞ってました (^^#)
2日目は、
20代の頃に一度行った事がある
「知覧特攻平和会館」をリクエスト
第二次世界大戦末期に
爆弾を積んで敵艦に体当たりした
20代前後の特攻隊員の遺品や資料が
展示されている場所。
きっと、もう行かないだろうから
大人になった私がもう一度
行っておきたかった場所。
午後から閉館まで何時間もずっと
展示品にひとり見入ってました。
前回の私は何も見てなかったと実感。
特攻隊は昭和20年の3月~6月
たった3ヶ月で1000人
しかし、他の飛行場からも飛び立った
特攻隊員合わせると4000人
私が生まれるたった22年前の
出来事だったとは信じられなかった。
彼らが飛び立つ前に
用意された旅館での両親との面会での会話や
両親や妻・子供・恋人に送った手紙
圧倒的に多かったのは母宛の手紙。
男性にとって母は絶対的愛しい人
ほとんどの手紙に書かれていたのは...
生んでくれた感謝と育ててもらった感謝。
親孝行ができなかったことへの謝罪と
お国のために突撃することが
最初で最後で最大の親孝行
...だと思って下さいという想い
当時のままの手紙や遺品を見て
胸がいっぱいになって苦しいと感じました。
今、私がこうして楽しんでいられるのは
彼らの過去が影響して存在してることと
感謝しながら...
今の私にはわかる
強がりだらけの手紙を読んでいました。
外に出た時、
もう一度きてよかったと思った。
鹿児島はとにかく移動距離があって
彼ともいろんな話ができました。
こんなに長く喋ったことは
初めてだったかもしれない。
私も普段、誰かに話さないことも
気付けばたくさん話してました
最終日は彼のリクエストでゴルフ
前日夜から与論町に大雨警戒アラート
間違いなく雨の日
自称晴れ女の私は
そんな天気予報も蹴散らす勢い
最後の3ホールだけ雨に打たれましたが
私のお陰とばかり自画自賛してました(笑
ゴルフをする人は
「大田さんのゴルフの腕前は?」
私のスコア気になりますか?
普段は絶対にしませんが
ゴルファーなら必ずする言い訳...
私はここ数年、クラブも握ってない(笑
失礼ながら、
事前の練習すらせずにラウンド。
最初の2ホールはバンカーも含め
一通りのクラブを使ってホールアウト
...出だし2桁
結果102
このスコアであがれたのは
間違いなく一緒に回った人のお蔭!
120出ててもおかしくなかったはず
ですが!
人は人によって変わる
ここでご一緒した人が素敵だったから♡
人に気を遣わせない気遣いってご存知?
私はこれが最上級の気遣いだと思う
人をリラックスさせてしまう気遣い
まさにそういうおもてなしをうけ
私のスコアはまとまりました。
みなさんの人生は今
100点満点の何点ですか?
私は、人生を司るものは
「人」 だと思ってます。
人生は自分の意思や決断だと言いますが、
その意思や決断も人の影響の賜物
自分の過去を振り返っても
いつも人が介在しています。
私の大きな転換期に影響した人の
名前も顔も全員浮かびます。
まだまだ私に会わせたい人がいると
言ってくれたから、また鹿児島へ
行く気になってます(笑
私はいたって単細胞
楽しいこと、嬉しいこと、感動が大好き
それが用意されてるなら行くしかないよね!