10月8日にWの災害にあった
能登を一周してきました。
すぐにでも報告したかったけど...
綺麗事だけの文章は書きたくなくて
それには冷静にならないといけなくて
今日になりました。
批判的に感じる方もいるかもですが
私の感じたままを書いてみたい。
当日は、石川県メンバーの村本さんが
地震被害・洪水被害の大きなところを選び
約9時間のドライブでアテンドしてくれました。
現地に行くまでの私の情報源は
メンバーを含めた石川県の人の話と
メディアからの情報だけでした。
能登に入って最初に驚いたのは
私の平衡感覚がおかしくなってしまうくらい
全ての家・電柱・樹木が傾いていたこと
立ち並ぶ家の玄関には
ほとんど 「危険」 という張り紙がされ
戦争を経験したことがない私なのに
戦後の風景に見えた。
村本さんからも
「ほとんど、誰も住んでないんやで」
...と、教えてもらった
道路も震災から補修されていますが
見た目には平坦に見えても車で走ると
上下に揺れるのを感じる。
そこかしこの土地や道路が隆起し
家も道路も、元あった高さではなかった。
先に進むと水害エリア
メディアから知る豪雨被害は
河川の氾濫で家が浸水するという
そんなイメージしかありませんでした。
私が見た景色
笑い話ではなく、
ここは木材業者の前ではありません。
道路を確保するために
両脇に避けられた木の山
これがずっと続いています。
写真は、向こうに海が見える河口
川の色を見てください。
水害は...河川が氾濫しただけでなく
崖崩れ・土石流の発生が被害を
拡大していたのだと知りました。
数百メートルごとに山が崩れてます。
下の写真は大きな山崩れの写真ですが
コンビニの数どころではない山崩れがあちこち
この山崩れの土と樹が
川の氾濫した水に流れ込み
家やコンクリート、構造物たちを
なぎ倒し、えぐり取り、道路脇の樹
震災の揺れで緩んだ山に
梅雨時期の降水量が数時間で降り
この土砂崩れ土石流を引き起こした。
山裾の家が土砂崩れで埋まるのを指し
村本さんが
「なんで、山裾に家が建ってると思う?」
私は答えられませんでした。
村本さんが教えてくれたのは...
「日の当たるところは農地にするんや」
「だから日陰の山裾に家を建てるんや」
腑に落ちる理由でしたが、
日本人らしいと思うのと同時に
その被害を見てるのがつらかった。
昼食に連れて行ってもらったのは
避難物資支給ベースを兼ね営業する
食堂へ連れて行ってもらった。
そこに、民間ボランティア風の男女が
隣に座っておられたので話しかけた。
男性も女性も地震からボランティア参加。
女性は月に一度、有休をとり千葉県から2泊3日
男性は1月からずっと滞在支援する長野の人
二人とも、浸水した家の泥かき支援
いろんな質問させてもらった中で
男性の話が印象的だった
自分達が泥かきをしている時、
住民の方には休憩していてほしいのに
みんな手伝ってくださることに胸が痛いと...
自分達はなんのためのボランティアなのか?
無理をさせてしまうだけの邪魔をしてるのか?
そう思ってしまうそうです。
1月からのボランティアの拠点は小学校。
冬はとても寒く、夏はとても暑いそう。
来月、長野へ帰る予定だと言う。
理由は、心身共に疲れ
一旦リセットする時間だと...
その原因は、水害によるW災害だった。
私は思った。
ボランティアの人でも心が疲れてるのに
住民の心は計り知れないと...
仕事を辞めて来たと言った。
私には出来ない事だと思い
価値観はそれぞれあると改めて知る。
震災後の民間ボランティアの数も
激減していると聞きました。
道すがら...
私が目にした自衛隊車両は数えるほど
更に村本さんから教えてもらったのは
各市町村行政職員も3割~4割が退職。
そりゃそうでしょう。
自分も被災してるのですから。
豪雨から2週間が経つのに
行政も機能していない上に
国の支援もされていない状態
10月5日に石破首相が能登を訪れ
「激甚災害に指定」したことで
1~2週間後から支援開始らしかった。
私が行った時には、
行政や国ではなく民間支援がメインだった。
最後に伺ったのは、
村本さんが支援物資を届ける
支援物資ベースのひとつ
「INSPIRE BASE」
BOSSは、Mr.TAYA
20分ほど滞在時間があったので
根掘り葉掘り聞かせてもらった。
朝から一日かけて能登を見て
私が思ったことを書いてみます。
「復興」
読んで字のごとく賑わいを戻す...
能登は難しいと思います。
私がそう思う理由のひとつは、
能登の集落は数十キロごとに少しずつ点在。
崖崩れする山は数百メートルごとに存在。
就学児がいる家族は震災後
既に能登から離れて暮らしていて
現在、能登で傷んだ家屋であっても
暮らし続けてる人のほとんどが高齢者。
震災後、エネルギーのある人達は
事業再建や住宅再建したものの
今回の水害で心が消沈。
民間ボランティアの方がする支援も
残る高齢者対応がほとんど。
「復興」
正直、難しいと思いました。
国が復興予算を組むにも
将来の税金歳入が見込めないと
予算すら組めない事情だってある。
そう思いながらの帰路で
それを確信する場面を見た。
わかりますか?
土砂崩れした崖の急斜面にユンボ。
命がけで何らかの作業するユンボ運転者には
それ相応の対価が支払われてるはず。
崖崩れは他にも何千とあるのに
「命がけで何をしているの?」
「誰に指示されたの?」
時間があれば確かめたかった。
その時、村本さんが言った
「俺は、能登を復興するのは無理やと思う」
「知床半島のように自然に戻した方がいい」
「数十年後にネイチャーツアーができるよう」
「そういう復興もあるんじゃないか?」
私も同意見だった。
もし私に何もしがらみがなければ
国から数千億の予算を取り付け
能登に滞在し住む高齢者の
一人一人に会って別の人生を提案し
能登から違う場所での楽しい暮らしを
してもらうための活動ならできると思った。
これは叶わない非現実的なことだと知ってます。
なら次に私にできることは...
疲弊せずに頑張ってる
民間ボランティア支援する人を
元気にすることならできるのではと思った。
家の泥かきも、
私の体力では迷惑をかけてしまう。
できれば、無駄になってしまう事もしたくない。
誰かの今よりいい暮らしにつながることに協力したい。
そんなことを思う一日になりました。
(冷静に書けてたかな?)
私から、これを読むみなさんにお願いです。
みなさんのできる範囲で結構ですので
食料物資支援お願いします。
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[希望支援物資]
■レトルトのおかず
■お菓子
■ジュースやお茶
■各種ビタミン剤・栄養補助食品
[送り先]
920-0941 石川県金沢市旭町1-1-18
株式会社ムラモト (村本 喜義)
076-263-2034
※12月25日~1月10日到着はお控えください
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いただいたご協力にお礼等はできないのですが
被災地に残る方やボランティアの方にとって、
みなさんの小さな支援がチカラになりますので
ご協力お願いします。
お送りくださった物資は、村本さんに責任もって
各所ボランティア拠点に届けていただきます。