アイキャッチ写真は私の40歳の時
今より6kg太ってました(笑
今日のお昼ごはんで
やっと焼き茄子を完食
当分、茄子は見たくない
大家族で育った私は
未だに一人分の食事づくりは苦手
幼少期の買い物といえば
今でいうCOSTCO状態
一人暮らしを始めた後も
友人達が集まる定食屋だった
いつも作り過ぎては
誰か見つけてお裾分けしてました。
だから、
メンバーが集まった時の農場では
私は朝からずっと飯炊き母ちゃん
大量のごはん作るのは
楽しくスポーツしてる感じ♡
※ただ、かなり豪快な料理ですよ
一人分の料理をしていると
美味しく出来上がる感じがしなくて
やっぱり大量に作るのが好きらしい...
そういう意味でも私は
一人でなにかを考えたり創作したり
そういうのが好きなんだと思います
でも、アーティストではないな...
クリエイティブな方が得意かな
実のところ私は人付き合いは苦手。
もちろんそういう状況が与えられたら
そんな素振りは見せないようにするし
同じ時間だもの全力で楽しむ努力します♡
ネガティブな話になりますが...
最近、とっても残念な時間がありました。
50代になって初めて経験する時間だった
行く前から乗り気ではなかったのは確か。
でも、行くからには楽しむ努力して
それなりに楽しんでいたのですが...
最後の30分くらいで
最悪な時間と化してしまいました
トラブルがあったわではなく
同席した人達の言動に
ショックが大きすぎた
私に向けられた言動ではないけど
見聞きしたくなかったなというもの。
仕事なら平気だったのですが
私にはプライベートな時間だったから
家に帰る途中...
プライベートでご一緒する人は
選ばなきゃいけないと反省しました
ネガティブなことを書くの珍しいでしょ(笑
私の日常でも珍しいことです。
そうならないよう意識して
仕向けてるところがあるので
滅多にないことです
人付き合いはオトナになるにつれ
苦手になっていってます。
その原因は幼少期?
話がものすごく過去に遡りますが...
私は父への反発と長女のプライドから
誰かに頼るのが大の苦手で育ち
営業職に出会った時も
相手の顔色を見ることに拒否反応
誰かに自分をPRすることが
出来ない営業マンでした
20代の私が辿り着いた安易な答えは
向こうから頼られる圧倒的な結果を出せばいい。
それは、誰にでも認めてもらえる結果。
結果に執着し出したのは
営業に出会った時でした。
幼少期に育んだ反骨精神の賜物
自分から誰かに興味をもつことが
完全に欠落している状態
結果を出すことに執着した私が
その過程で一番の学びは...
「自己責任追及」でした
なんでも自分の責任として考えること
嫌な思いをしたら、それは全て自分の責任。
そう考えないと結果が出ないのです。
結果がでないことを
お天気のせいだ、誰かのせいだとか...
そんなことを言っても何の改善にもならない
それを営業の世界で痛いほど痛感しました。
そのうち、私は更に厚かましくなり
10の結果を目標に挑戦した結果が
50だったとしても失敗と位置付け
どうして60、100に出来なかったの?
...そんな風に考えるようになった
そこから明らかな結果が出るようになり
「自己責任追及」の大切さを体感しました。
同時にコミュニケーション能力も上がりました。
私が自己責任追及する言動は謙虚に映るようで
人は謙虚な人を好むことも体感しました。
デキる人は謙虚な人を
応援してくれるんだと気付きました。
私を応援してくれるデキる人を介して
デキる人が協力しない人がどんな人かを
垣間見ることになりました。
それはすぐにわかりました。
▪言い訳する人
▪自己顕示欲の強い人
▪相手の事を考えない人
▪誰かの悪口を言う人
▪人に意地悪する人
▪依存心の強い人
▪ケチな人
それを私に垣間見せ教えててくれたのは
もう今は亡き会長でした
自分の人生において嫌な事は全部
「自己責任追及」で克服してください
最低限、精神的自立はできます。
「自己責任追及」は...
誰かに謝る事ではありません
自分の責任上で何が原因だったのか
それを自分の中で考えるだけのこと
そしてその原因を見つけられたら
必ず改善点はセットで付いてくるので
それを改善すればいいだけです。
メリットは、それを繰り返すこと
どこまでも自己責任追及すること
気が付いたら自立してるはず♡
2021年のBlogにも書いてますが
私は会長が亡くなるまで面倒な人だった
亡くなってから感謝することになりました。
ご一緒する人を選ぶこと
これも私の自己責任
二度と時間を無駄にしない!
大田さんってなんでもできる人
そう思って下さってる方多いようですが
実は日々、失敗だらけで欠点だらけ...
己と格闘しています
~Today’s「親子 STORY」~
※2021年12月25日から突然始まった介護同居
※2024年6月7日に介護同居終了
昨日のBlogを読んで
介護経験者のみなさまから
アドバイスのご連絡をいただき感謝♡
事実と数学以外、
正しい答えはないもので....
誰でもそうなのかもしれないけど
自分で自立できなくなってしまったら
自分がどうしたいかなんて意思に関係なく
周囲のエゴと自己満足の人生になるんですね
父の今は、まさにそんな状態
私のエゴと自己満足は
2年半の楽しい時間だけを記憶に残して
苦しまずに最期を迎えさせてあげたい。
それしかない。
それは私のエゴで自己満足。
父がどう思ってるかはわからない
もしかしたら今でも父は
100歳まで生きると思ってるかも(笑
まだ会話できる状態なので
週末の面会で父の本音を聞いてみようかな♡
同居してから始めた実家の売却
隣地境界の問題で売却まで半年...
なんとなく実家住所をネット検索
4980万円で売りに出てた
実家が売りに出てるのを見るのは初!
なんだかいろんな想いが...
約30坪の敷地ですが
私が生まれ育った場所
駅から徒歩3分
電車の音は聞こえるけど
住んでいれば慣れて聞こえなくなる
私が高校生の頃は
〇時〇分の特急が走り去ったら
走れば間に合うというサインでも(笑
都心部に出るのも地下鉄で10分
大きな商店街が徒歩5分のところ
環境的には最高の立地
私達はこの敷地に
父と祖父が職人さんと一緒に建築した
鉄筋コンクリート3階建てに住んでた
夏は暑くて冬は寒い鉄筋コンクリート
私の部屋は15畳くらい広い3階の東南の部屋
中学生から一人部屋として使わせてもらった
掃除機をかけるのは大変
階段掃除しながら掃除機コードを
下から上へと差し替える作業が面倒
いろんな思い出がありますが
私にはいい思い出ほとんどなくて
でも、それも今の私に必要だったこと
あの頃には想像しなかった
今の父と私の関係も♡
また実家のあった敷地で
誰かの人生が育まれるのね