「初めて会う人へのギフトは1000円以内」
昔、私が決めたルール
決めた理由は覚えてる
相手に自分の感情を押し付けず
自分の気持ちを感じてもらえる
お品選びは私の努力
20代はギフト選びに挑戦
30代で幾つかの品物に辿り着く
40代はギフトを渡さなくなった
50代の今、
私のお気に入りがギフトになった♡
ギフトを渡すことが
私の中で特別になった。
仕事でも挨拶代わりの手土産は
もって行くことはほとんどなくて
それより
私がギフトになれるように
自分へのプレッシャーをかけた。
なにが正しくて
なにが間違っているのか
そこに答えなんてない気がする。
自分がどう捉えるかを考えるようになった
ある意味、それは自分への挑戦
一般的や普通から逸脱していても
そこにある理由と行動で是非は変わると
オトナになって知りました。
何をするか、何処へ行くかではなく
「誰と」が今の私には大切なこと
コロナで外出が規制されて以降
オンラインというものが日常化して
それまでの私は、
誰かからのお誘いも出かける判断は
自分の予定が空いてるかどうかだった
今は父との同居もあり
時間・労力・コストを考え
出かける価値を考えるようになって
オンラインで片付くなら出かけなくなった
私の中で「対面」の価値が上がった
やっぱりそこにあるのは「誰と」
日曜日、夕食に出かけました
会いたかったから♡
~Today’s「親子 STORY」~
※2021年12月25日から突然始まった介護同居
私が夕食に出かけた日曜は
妹が父のサポートに来てくれた
本当に有難い。
妹が来てくれない時は
父はショートステイに行ってもらう
同居当初からそう決めていました。
私の大切な時間まで
父に捧げるつもりはなかった
当時はなんとなくその方が
お互いにいいと思っていたけど
今は、確信しています。
この親子STORYを楽しみに
読んでくれる人がいると耳にします。
きっと介護同居してる人も
おられるんじゃないかと思います。
そんな方に私が伝えたいこと
それは、自分の大切な時間まで
両親に渡さないで大切にしてください。
どんなに高齢になっても
誰かに迷惑や負担をかけていること
言葉や態度には出なくてもわかってる
私の父も、
疑いたくなる悪態ついたりします。
でもそれは、わかってないんじゃなく
わかっててもどうにもできない自分への
やり場のない苛立たしさから生まれるもの
私自身だって...
高齢になり出来てたことが出来なくなっても
誰かに迷惑や負担をかけてる事くらい
きっと判断ができると思う
申し訳ない気持ちも湧くでしょう。
それに何も返せないというジレンマ
必ず存在すると思う
だから私は時々父に
「私も無理だよ~」
「私も出来ないよ~」
「私の好きにしてごめんね~」
私が父に申し訳ないなって思うことを
あえて作るようにしています。
そういう私を見せることも
父のストレス軽減になるって思ってます。
私が父に対して完璧だと
それはそれで父もストレス
自分が余計ダメに思えてくるのだから
今晩も夕食を食べてくれない。
強制することはやめました
父 「今日は、全然食べる気がせ~へん」
私 「OK! じゃぁコレ捨てていいね?」
父 「もうちょっと置いといて」
「後で食べてみるから」
ソファーでうたた寝しては
ダイニングテーブルに来てひと口
またソファーでうたた寝。
そんな父を放っておいて
私は自分時間をすごしています。