大田麻美のBlog

とんでもないクリスマスギフトと一年

2022年12月25日

 

 

私のChristmasは去年から

父との同居Anniversary

 

1年が過ぎたら書こうと思っていました。

 

Blogで文字にしなかった本音も

自分の振り返りだと思って

綴ってみたいと思います。

 

この記事が、みなさんの今や未来の

Christmas giftになれば嬉しい♡

 

 

 

第一章 生い立ち

 

両親と3姉妹、父方祖父と父の弟の6人家族。

私が10歳で母、その後に祖父が亡くなり、

叔父も結婚し4人家族に。

 

 

母の死を知らされた時に私が思ったこと。

「父の両腕は妹たちにあげなくちゃ」

 

母の死から私は精神的自立を始めた。

甘えない、頼らない、泣き言を言わない。

それがその後、とんでもない反抗期に...

 

高校に進学し経済的自立をしだし

学校よりアルバイトに明け暮れる日々

いろんな年上の友人と出会い学生を謳歌

 

大学進学を切望する父に反して

アルバイトで稼ぐことの楽しさを知った私は

バブル期の社会に飛び込み高校卒業後、家を出た。

 

 

加えておくと、

父は、私が反対するのを受け入れ再婚もせず

一人で3人の娘を抱え家事も仕事もしながら

両親が揃う一般家庭と同じように育ててくれました。

(母が亡くなった時、妹は5歳と8歳)

 

家事、週末のお出かけ、旅行、新年のお節まで

完璧な母親役をしてくれていました。

 

よく人から「お母さんがいなくて大変だったね」

そう言われても意味がわからないくらい父は完璧だった。

 

この年齢になり、そんな男性はみたことがない。

親戚中でも父は出来過ぎる人だと評判だった。

 

 

 

第二章 私と父の距離感

 

経済的、物理的に父に甘えていた私でしたが

母他界から精神的には父親という意識がなくなった。

 

表現が難しいけど「家長」という

家族を取り仕切る人でルール決めする人。

 

Businessで言うとワンマン社長。

ボスの言うことを聞かないといられなくなる

そんな空気に似てるかもしれない...

 

そんな中で、友人を増やし外の世界を知り

段々と父の価値観との乖離を感じながら

反抗期に突入した私でした。

 

今思えば、あの頃の私は、

父の愛情を欲しかったのではなく

世界はもっと広いし楽しいということを

父に見せつけたかったような気がします。

 

 

早く父の取り仕切る世界から出たい。

学生だった当時の私はそれが目標だったかも。

 

父は、私を理想の一般的に育てたくて

それが子どものためだと思っていたはず。

 

 

第三章 社会に飛び込んだ私

 

大学進学を辞め高卒で社会に飛び込んだ私。

同時に家を出た。

 

今思えば反抗期が人一倍キツかったから

父もホッとした気分で許したのではとも思う。

 

家のルールから開放され自由を手に入れた私。

自分のやりたいことだけやればいいという至福。

それに反して社会はそんなに甘くはなかった実感。

 

収入は人一倍稼ぐ術を学生時代に体得していたけど

傍目にはとんでもなく冷や冷やする失敗だらけ。

 

ただ当時の私には、それに屈しないメンタルだけは

母の死から鍛え上げられていたような気がする。

反骨精神は時にとんでもないエネルギーになる。

 

その後の私は、言うまでもなく公私ともに

波瀾万丈でしかない人生を送ることに。

 

徐々に、自由を楽しむには自立が必要だと知った。

私は自立の努力よりも自由を楽しむことを優先した。

 

 

第四章 親子の静かな時間

 

社会人になってからは父との距離は更に広がり

「家族」という定義を最低限守る程度

 

父が私に頼るなんてことは一度もなく

妹達の満足を満たすために家族でいた。

 

妹達に頼られると自己満足の姉御肌が顔を出し

関わったけど、私には想いよりMissionでしかなく

妹達の求める結果を出して自己満足していただけ。

 

また妹達が父を海外の旅に連れて行きたいと言えば

仕事柄、海外が日常だった私はMissionとして

普通じゃない特別な旅を自己満足でプレゼン。

 

ここにも、父への想いはなかった。

 

父60歳からの15年間は、

いろんな国内外へ家族で旅行へ行きました。

 

一番はキャンピングカーでアラスカを旅し

ユーコン川でオーロラを見たことでしょうか。

 

 

第五章 父の遺言

 

父は50代から事ある度、私たち姉妹に

「老後あんた達に面倒看てもらうつもりありません」

 

私達が質問もしていないのに

自ら言い続けていました

 

ある時、その理由を聞くと...

「最後まで親として生涯を終えたい」と言った。

 

これだけ一所懸命頑張って子育てしてきた中、

最期に娘に面倒な親だと思われながら

人生を終えるのは避けたいというもの。

 

この言葉を聞いた時、

父親としてやってきた自負があり

それが父のプライドだと思った。

 

私はその父の言葉に

尊敬と有難さを感じたし同時に

私も誰かに迷惑かけない人生をと

初めて自分の老後を考えたのでした。

 

 

第六章 父の施設生活の始まり

 

糖尿、心筋梗塞、脳梗塞と...

いろいろありました。

 

60代から始めた国内外旅行は

「もうどこへも行きたくないです」

...という父の80代で止まりました

 

自宅屋上で菜園ならぬ農場規模で始めた作物づくり。

これが父の唯一の楽しみになりました。

 

なんにでも集中する父が

夏に何度か熱中症で緊急入院。

 

妹と沖縄旅行へ行く日の前日

父が熱中症で緊急入院。

妹は旅行をキャンセル

 

これがきっかけで父に施設入所の交渉が始まる

介護認定なくても入所できる自宅近くの施設へ

入所してもらうことを交渉成立させた。

 

施設入所は父の最期の暮らしだった。

 

6年間、父は施設で就寝、日中は自宅生活。

慣れるまではいろいろありましたが...

楽しんでいたわけですが

 

2018年の台風21号で屋上の菜園崩壊。

近隣にも迷惑かけ妹が謝罪と保証へ伺い収束。

自宅屋上の菜園撤去になり遣り甲斐失った父。

 

楽しみがなくなった迷走する父に

2020年コロナが襲う。

 

感染対策で施設から出ないか

自宅だけで暮らし続けるかの選択肢。

 

父の選択肢は施設隔離だったのですが

やることがない施設では寝続ける生活。

 

寝たままの生活に父の体力は急低下。

誤嚥性肺炎で2021年10月に入院することに。

 

 

 

 

以上が、同居するまでの父娘の歩み。

私がこれを書いたのには理由があります。

 

両親に愛情をもって何かあれば絶対看取る

そう思う人は正直、少ないと思う。

 

逆にそういう親子関係を築けてきたのは

羨ましくもあります。

 

私はそういう関係を築けないまま

一般的な親娘関係より距離のある関係での

介護同居であることを書いておきたかった。

 

 

父と同居することになったのは

三女妹の一言。

 

誤嚥性肺炎で入院3週間が経った父に

Dr.が妹に伝えた言葉がきっかけ。

 

Dr.が妹に伝えたのは...

「これ以上、病院での治療はなく、一般的には

このまま年齢に沿った老衰で亡くなられます。」

 

その言葉に妹は泣きながら

「コロナで面会もせず、お父さんがこのまま死ぬなんて

お父さんが死んだら後悔しか残らない!」

 

 

この一言が私の姉御肌を呼び覚ますことに...

 

私の正直な気持ちは...

「病院で老衰で亡くなるのも仕方ない。」でした。

それが父の望みだとも思っていた

 

冷たい娘だと思われるかもですが

父と私の距離はそれくらい開いていたし

明らかに妹と私の父との関係は違ってた。

 

妹2人は自由が利かない勤務だったので

結果、暗黙の了解の中で私が引き取ることに

 

 

 

当初の私は父の寿命が長くないと思ってた。

だから引き取る決断したのも間違いなくある。

 

ただ、私は父を引き取る時に決めたのは

Blogにも書きましたが

 

「絶対に愚痴は言わない」だった。

これは自分との約束でした。

 

妹は万一のことを考えて

父のいた介護施設の解約せずにと言いましたが

 

私は2つの選択肢を持つことが

エネルギー分散ストレスにしかならないと

介護施設の解約を妹にお願いた。

 

父が退院して我家へ来る約1週間は、

やったことがない同居の準備でした。

 

介護ベッド、衣類、その他の必要品調達...

父がどんな状態かもわかってなくて

寝たきりも覚悟していました。

 

もちろん仕事のことも考えました。

普段15時間以上の仕事量でしたから...

 

ただ、波乱万丈を経験してきた私は

時間はどうにでもなるものと高を括っていた。

 

 

ちょうど一年前の12/25の今日

三女と父を病院へ迎えに行くと

久しぶりに見る父は生気を感じない

歩くこともままならない様子だった。

 

 

私の家に着いた父は、

昔の面影はなく私に気を遣っていた。

 

帰宅して着替えをさせると

何日も交換されていないオムツに衝撃を受けた。

病院というところはそういう所なんだと。

退院させてよかったとも思った。

 

その時、私の脳裏に浮かんだのは...

これまでの仕事での経験値から

人を司っているのはメンタルで

楽しい時間が唯一生きる原動力だということ

 

それでも一年前の私は

父は1年もたないと楽観視してた。

 

そして、

父の為ではなく、私のためにスイッチした

 

 

本当にメンタルが人間を司ってるのか

私は父を実験材料にした。

 

とにかく父にとって

楽しい会話・楽しい時間だけにした

 

母を亡くした10歳から精神的自立を始め

社会にでて波乱万丈の中で体得した

スキルを全て注いでみようと思った。

 

 

昭和一桁の頑固な父。

妻を早くに亡くし独裁政権を貫き

上から目線、断言、支配しか知らない父は

楽しい会話とは無縁の人。

 

私は終始笑いを貫いた。

それでも父との生活を受け入れられてなかった。

一人暮らしの気楽さや自由を懐かしんでた。

 

少しずつ元気になってゆく父に対し私は

出かけることも遊びに行くこともできず

完全に私のプライベートはなくなった。

 

私の好きなものだけで揃えたインテリアが

父の大きな家具に置き換わり他人の家のよう

 

トレイに失敗した時の後片付けをしながら

突然涙が流れたこともありました。

 

 

「私の人生こんなはずじゃなかった」

そう毎日思ってたけど絶対に言葉にしなかった。

 

言葉にするとメンタルが崩れ出すことを知ってたから。

愚痴を言わないと自分と約束した理由でも

 

 

 

みるみる体力回復する父

半年くらいは、いつまで続くかわからない

ゴールの見えない未来に気を抜くと苛立っていた。

 

高齢者との同居は大変です。

避けられるものなら避けた方がいいいし

おすすめできるものではありませんが

 

向き合い方によっては

自分のためになることは間違いない。

 

介護する人が介護鬱になる理由もわかりました。

一番の理由は、自分時間・人生が無くなったと

勘違いすることだと思う。

 

もう一つの理由は、

介護される人は動けないから仕方ないと諦めるから

介護されて当然という言動が増えるから

自己肯定感や承認欲求が満たされず

ストレスになるんだとわかった。

 

 

 

完全に同居を受け入れられない自分を

あの手この手を使い自分のバランスを取る。

 

あの手この手をご紹介してみます。

 

 

==▪▪=======

とにかく父と楽しい空気をつくり続けた。

なにがあっても楽しい言葉と態度を貫く。

 

父に言いたいことや本音は全て笑って伝える。

 

父の日々必要サポートを私のルーティンにした。

 

父だと思わずサポートが必要な高齢者と思う。

 

介護はこうあるべきと自分ルールを作らない。

 

過剰なサポートと過剰な心配はしない。

 

父のサポートは最小限の時間と労力に努める。

 

父の遣り甲斐、仕事をつくる。

 

食事、入浴、トイレを自分で出来なくなったら

施設入所してもらうと決め父にも承諾してもらう。

 

自分の未来のためと父から学びを得る時間にする。

 

仕事で身に付けたと思ってるスキルを検証する時間。

 

介護関係の新たなビジネスをするチャンス。

 

「妹達だって…」その選択肢を完全消去。

 

自分の中で「頑張ってる」をつくらない。

 

助けてほしい時はお願いする。

 

疲れてる時や休みはダラダラ過ごす。

 

父を動かしたい時は「頼る・甘える・お願い」

 

自分時間を優先しサポートを工夫する。

 

自分時間をつくり、友人との外出もし楽しむ。

 

父のいい結果を楽しみに、あらゆる工夫を実践。

==▪▪=======

 

 

このBlogで親子STORY書いてるのも

私のメンタルバランス整えるのに役立ってます。

 

 

 

 

今は父との同居を受け入れられるように。

 

キッカケは時間薬もありますが、

いい意味の諦めを決め込んだことと

本音を言葉にすることだった。

 

 

私 「後、何年生きるつもり?」

「大迷惑なんだけど!」

 

父 「後、10年は生きそうですわ」

「こればっかりはどうにもなりませんねん」

 

お互い冗談みたいに本音を言葉にすることで

それぞれ受け入れられる効果があります。

 

 

 

 

どんな工夫をしても頭打ちになったタイミングで

デイサービスを利用させてもらえるようになり

それぞれの時間を楽しめ有難かった

 

これは私にとってサプライズギフト

サンタが届けてくれたXmasプレゼントかも♡

 

 

 

父との一年の生活は、

いろいろ自分と葛藤する毎日でしたが

葛藤がなくなり今は日常に

 

 

一年経って言い切れるのは、

人はメンタルが司ってることを確信。

苦しい時ほど楽しむ努力が大切だということ。

どんな経験も無駄はなく自分の未来のためになる。

 

 

どこまでいっても完璧はありませんが

自分のために経験を大切にしたい。

 

みなさんも苦しいことの一つくらいあるでしょう。

それは、神さまが未来にあなたが人生を楽しめるよう

与えたトレーニングだと思って楽しむ努力してください。

 

 

長い記事を最後まで読んでくださって

ありがとうございました。

おつかれさま♡

 

 

Merry Christmas ☆彡

 

 

 

 

 

追記: 第七章 まとめ

自分の人生は全て己の決断により創られ

生きることに与えられたひとつのMissionは

より多くの時間を楽しく過ごすということ。

 

それこそが「自立」なんだと

父との生活を通して私が出した答えでした。

 

父も私達も人生を終える最後の最期まで

時間を楽しく過ごせるよう研鑽しましょッ (^_-)-☆

 

 

 

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